新潟県出雲崎町道
尼瀬稲川線 稲川隧道 再調査編
第9部「約束の道」

2025年4月5日 探索 2025年6月26日 公開

約束の道

微かな痕跡を頼りに、稲川トンネル直上にある切り通し目指して進んでいく。画像は撮影しなかったが、ここから右下を見てみると、つい30分ほど前までいた旧道の路盤が遥か下に見える。標高としてはさほど高くはないだろうが、こうしてみると結構上まで上がってきたように思うから不思議なもんだ。

今進んでいる道は御覧のように人一人がやっと歩けるような道。獣道なんではないか?と言われてしまえばそれまでだが、よく見てみると平地の左右に木々が生えて狭く見えているだけで、実際はもう少し広い道であったことがわかると思う。
「おそらくこれで間違いない」確証はないが、そんな変な自信をもって進んでいく。

おっと、倒木!

ここにきて倒木が私の行く手を邪魔する。道にとっては最後の試練を与えたのか、それとも先へ進む私を邪魔する目的か。…そんなことはどっちも考えていないだろうが、いずれにしても最後の悪あがきのように見えるのは間違いない。

しかし、こりゃまた派手に倒れてるなぁ。跨ぐか、それとも下を通るか…どっちにしてもクリアするのは難しいことではなさそうだが、跨ぐときに私の足が攣らないかどうかだけという大問題が残っている。…ま、何とかなるか…。この倒木がなかった状態の道形を考えてみると、やはり大八車くらいは通れる道幅だったようだ。この道はこの先で左にカーブしているところまでは確認できるので、目的地の切り通しまではもうさほど距離はないようにも見える。

やっぱり、ここが道で間違いないようだ。こんな山中にこれだけの平場は、どう見ても不自然すぎる。いかにもここだけ切り取りました!という感じの平地ではないか。途中、崩れてしまったところもあったが、おおむね旧版地形図と同じ位置を通ってきていると思う。

前方に倒木が見える。実は先ほどの最初の倒木で跨ごうとしたら、案の定やや足が攣ってしまい、しばらく休んでからようやく再開したばかりでまた倒木だ。自分の肉体の老化にもやや腹が立つ。やっぱり普段から動いていないといけないなぁ…と実感した。でないと旧道や廃道を探索しているときに、体がまともに動いてくれない。万が一のことがあると、いろんなところに影響を及ぼすことになるので…やはりトレーニングはしておかないといけないなと実感した瞬間だった。

さて、倒木のところまで来た。空の高さといい明るさといい、切り通しまでもうすぐのはずだが…というところで現れた倒木だ。この旧旧道からしてみると、これが私に課した最後の試練(←そんなに大したもんではない)というところだろうか。さて…この倒木は下をくぐればクリア出来そうだな…とお茶を飲んで休憩しながら眺めていると、倒木の先の風景が少々おかしいことに気付く。この道は倒木の先で左に曲がっているが、その先が壁になっている。だが、その壁は私がこれから進もうとしている道の痕跡よりもやや先のほうにあるようだ。

…ん?となると…?もしかして?

一気にテンションが上がる。これはいよいよか…?
あわててお茶をもう一口飲むと、口に入りすぎて少々吹き出してしまう。でもそんなことに構っていられない。7年の時間を過ぎて、まるで歯車が合うように再び時間を刻み始めたこの探索のゴールに到達するんだ。気合を入れなおして先へ進むと…。

あった!ここだ!

稲川トンネルの直上に見えていた、旧旧道の「ナナマガリ」の切り通し!。その切り通しがここだ!。山側から海側に行き来していた多くの人たちが通っていた山道の頂上に存在した、この名前もない峠の切り通し…。
7年もの間、よく待っていてくれた。もっとも、この峠の切り通しが今までに過ごしてきた長い時間から比べれば、7年なんて大したことない時間なのかもしれないが…。さぁ、その切り通しへ進もう。

擂鉢状になった旧旧道。実際にはもう少し平たい道床があったのだろうが、それが時間とともに風化していったのだろう。人一人が通る幅になってしまってはいるものの、こんな擂鉢状の地形がこの頂上に近いところで自然に出来るとは思えず、やっぱり切り通しと見た。その昔、多くの人が行き来したであろうこの峠道。この真下に稲川隧道が出来てからは通る人も徐々に少なくなり、やがて途絶えてしまって自然に戻る運命を辿ったが、完全に戻ってしまう前に辿り着けて良かった。ここにはもう二度と来れないだろうし、これで今はもう会うことが出来ない友人との約束だった「旧稲川隧道とその旧道」、それより更に前の道である「ナナマガリ」、この二つの問題を解き明かすことが出来た。おそらく今度こそ正解だろう。

さぁ、この切り通しをもう少し奥まで入ってみよう!

第10部
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