新潟県出雲崎町道
尼瀬稲川線 稲川隧道 再調査編
第5部「重ねた時間」

2025年4月5日 探索 2025年6月6日 公開

「重ねた時間」

春の日差しの中、ポツポツと旧道を歩いていく。中山側からやってきて稲川隧道を通りぬけると、稲川側はこんなにのどかな風景が広がっていたんだ。「隧道を抜けたところにヤギがいて、喜んでいた」とは友人の弁だが、なるほど、当時この辺りにヤギがいても、おかしくはないなと思う。現在はこの旧道の左側に現道が通っているが、旧道だけのころは現道の路盤も含めて全部田圃だったんだろうか?。家に帰って旧版地形図を眺めてみると…いや、全部が田圃じゃないな。一部には普通の広葉樹の森(いわゆる里山の森)が広がっていたみたいだが…。

旧道の路盤から現道を眺めてみる。このように、今は旧道と現道の間には田圃があるが、旧道しかなかったころには当たり前だが現道の路盤はなかったわけで、当時ののんびりとした風景が蘇ってくるようでもある。ふと振り返ると、先ほどこの農道の通行許可を頂いたご夫婦は、懸命に農作業をしておられた。懸命に作業をしておられる傍らで能天気に旧道を辿っている自分に少々恥ずかしくなってしまったが、これも道の歴史を伝えるためだと思って進んでいく。

「道の歴史を伝えるため」このためレポートが多少冗長になるときもあるが、それも「こんな道があったんだよ」ということを一人でも多くの人に伝えたい一心として、ご理解いただきたい。事実、私がレポートした道の中でも、今は通れなくなってしまっている道もいくつかある。冗長な部分でも、ひとたび通行止になってしまえば閉ざされた空間になり、やがて自然に戻ってしまう。長年人のために尽くしてきた道の最期としては、悲しいなぁと思ってしまうのだ。

おっと、倒木!。…とは言っても御覧の通り地面に近くないので、越えるのに(と言うかくぐればいい)さほど苦労はない。でもこの道は農道のはずで、これだと軽トラなどの車は通れないのではないかと心配になってしまった。その時になれば切ってしまうのだろうけど。

ここまで延々と続いてきた擁壁がここで終わるが、表面を覆う苔や傷み具合なんて素晴らしくない?。ヒシヒシと年季を感じさせてくれているこの擁壁、時間という要素がないと、こうはならないよね。

倒木を乗り越えて(←そんな大したもんじゃないが)先へ進むと、また擁壁が復活。今度は前の擁壁より更に古いのか、一見すると苔でカモフラージュしているようも見える風体だ。前のものと比べて高さも少し低いように見える。この道を自転車や歩行者が通っていたんだなぁ…この擁壁は当時からあったのかな?と思いながら、アングルを少し低くして撮ってみる。

その擁壁も、今度は短くてすぐに終わり、崩れた土砂が少々路面を覆っているところがあった。擁壁がないと、こんな風にすぐに崩れてしまっていたのかもしれない。画像のアングルにも入っているが、左側には現道の築堤がトンネル方向に続いていて、現道と旧道の間がだんだんと短くなっているので、この旧道区間ももうすぐ終わりだろう。その間にある田圃には青々とした水稲の苗が整然と植えられ、秋の収穫を待っている。

こんな感じでちょいちょい擁壁が復活しつつ、現道との合流点を目指して進んでいく旧道の路盤。ここまで旧旧道が分岐していそうな怪しいところはなかったように思う。すると…稲川側の旧旧道の分岐点はどこなんだろう?。現道を造成するときに崩されて、消えてしまったんだろうか。でも、ここからだとナナマガリの道に入るには、なんとなく距離がありすぎるような気もするんだよなぁ…。

もう少し先なのかな?。現道との合流点の近くなんだろうか。などといろいろ考えながら、立ち止まり、辺りを見回しながら考えてみたりして進んでいる。先ほど、この道の通行を許可してもらったからいいようなものの、そうでなければ、傍から見ればただの不審者じゃないか。やっぱり、身なり振舞いは気を付けないといけないなぁ。

次回、旧道の探索を終えて、舞台はいよいよ「ナナマガリ」へと。
道をちゃんとトレースできるか、それとも山中を彷徨うことになるのか?

第6部
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