新潟県出雲崎町道
尼瀬稲川線 稲川隧道 再調査編
第4部「見落とした擁壁」
2025年4月5日 探索 2025年6月1日 公開
「見落とした擁壁」

さて、ここは旧道。前回、旧旧道の姿をチラッとお見せしたが、まずは旧道の繋がりをきちんとしてから旧旧道に向かおうか、と書いた。当然、旧旧道となれば左側の山の中に突っ込んでいく訳だが、突っ込んで行く前にこの中山側の旧道と、反対側の稲川側の旧道を確認しておきたいと言うのがあった。と言うのも、中山側(つまり、こちら側)の旧旧道の入口は幸運にも見つけることが出来たが、稲川側は以前の記憶を辿ってみても、画像を見ていても、どうも旧旧道の入口が見つけられないのだ。何となく嫌な予感がしなくもないが、それもあって「まずは旧道をきちんと見てから」と言う訳なのだ。
ここは中山側の旧道。御覧頂くとわかるように、電柱のところから左に曲がれば現道の稲川トンネルになる。まずはそこまで行ってみよう。

旧道をもう少し進んでみる。稲川トンネルと旧道の取付の関係が、一目でわかる。以前の探索では、稲川側で農作業をされていた方にお話しを伺い、トンネルが掘り下げられて高さを稼いだ、と言うお話を伺ったが、それに間違いはないようだ。稲川隧道時代の画像(別のタブで開きます)の撮影地点は、この旧道から出て隧道に正対した場所と思われる。場所的には、現道の右路肩に工事を示す看板が置かれているが、あのあたりの道路中央で撮影したものだろう。


左は現道の稲川トンネル、右は稲川隧道。こうしてみると、現道のトンネルは旧隧道よりも坑口が若干手前に出ている(いわゆる突出型坑門ではないが)ように見受けられる。この為に坑門から撮影地点までの距離が変わってしまったのではないかと言う気がする。また、隧道内で左にカーブしていた旧隧道は、掘り直す際に拡幅されて直線に修正されたようだ。それに旧隧道は片勾配のように見えるが、現道の隧道は拝み勾配になっているのも、大きな変更点と言えるだろう。結果、旧隧道をいわゆる「先進導坑」として使い、現道を掘り進めたんじゃないかと考えた。この仮説が正しいかどうかはわからないが。
それでは、今度は稲川側の旧道を辿ってみよう。

ここは稲川側の分岐点。トンネルの稲川側坑口より結構手前にあり、旧道全体の長さからすると中山側の旧道よりも長いかもしれない。画像では見切れているが、左側に現道があり、旧道はこの画像やや右側のダブルトラックがついた砂利道、これが稲川隧道に向かう旧道だ。ここから見ても、旧くて年季が入って貫禄十分の擁壁などが見えていて、何よりこの旧道は現道から見える。故に、最初にここを訪れた際に気づかなくてはいけないはずなのだが、その時にはまだ経験値が浅かったと言うことだろう。お恥ずかしい限りだ。今なら、おそらく見逃してはいないと思う。
では、この旧道を進んでみよう。
なお、この道は中山側と同じく、現在は農道として使用されている。道だから通ってもいいだろうと言う方もいるが、私もこの時には付近で農作業をされている方に声をかけて、趣味で道を調べていると言う事情を説明して、通行する許可を得た上で通行している。付近に地元の方々がいらっしゃる場合には、声をかけて許可を得るようにしましょう。その方が大手を振って、胸を張って探索出来るしね。

旧道の鉄則(なのかな?)、現道は地形に沿って進むことはほとんどないが(現道は橋とトンネルでぶち抜くし、切り通しや築堤で極力直線的に道を通す)、旧道は、元からある地形に極力沿った形で道を通す。旧道や旧旧道に災害が頻発して通れなくなってしまうのは、この道の造り方によるところが非常に大きい。それで言うと、ここなんかは非常にわかりやすいと言えるだろう。右側に見える路肩の擁壁などは「ここが旧道ですよ」と言っているようなもので、これを見落とすとは当時の私はどこを見ていたんだと、頭を小突いてやりたくなる。
なるほど、旧道らしい実に雰囲気の良い道で、この道幅ならオート三輪なんかも通行していたかもしれない。海側と山側を繋ぐ3本の道のうちの1本と言う、この地域にとっては非常に重要な道であり、交通量もそれなりにある活発な道だったことが伺い知れる道だ。でなけりゃ、こんな擁壁を延々と作らないだろう。


てくてくと歩いていくと、左側の画像で見切れた、更に左の畑で農作業をしておられたご夫婦がいらっしゃった。声をかけて、この道が稲川隧道に通じる道の旧道であることを伺うと「そうですよー、よくわかりましたね!」とのお言葉。趣味でこうした道を調べていることを説明し、通行の許可をお願いすると、快諾して頂いた。この道が旧道であることの裏付けは取れた。と言うことは、この道のどこかで旧旧道が分岐していることも考えられる。慎重に進んで観察していかなくてはならない。…にしても、旧道右側の法面に延々と続く、旧いコンクリート製の擁壁が実に素晴らしい。長年、この道を護ってきたと言う誇りすら感じる。現道はこの旧道の左側を走っているが、田圃の真ん中を突っ切るように築堤で路盤を造り、真っすぐに稲川トンネルに向かっている。それが右側の画像だ。素晴らしいまでの一直線。今、改めて見ると現代の道だなぁと言う気がする。
次回、稲川側の旧道を過去に想いを馳せつつ、
旧旧道の面影も探しながら進む。
見落とすんじゃないよ!(←自分)