新潟県出雲崎町道
尼瀬稲川線稲川隧道 再調査編
第3部「古の道への入口」

2025年4月5日 探索 2025年5月27日 公開

「古の道への入口」

地主の方と雑談を交わしながら進む、稲川隧道への道。やがて現道から左側に分岐するところから少し入ったところがこの地点だ。この地点は通っていればすぐにわかるところなので敢えて詳しくは書かないことにするが、これが稲川隧道に向かう旧道だ。その姿は旧道としては貫禄あるもので、今も砂利道。今も数多くの道路防護施設に護られながら、道としての役割をきちんと果たしている。

これは道路好きな者として非常に嬉しいこと。旧道として残るには、旧道化した理由もそうだし、旧道になってもきちんと管理してくれるかどうかと言うことも大きく関係してくる。旧道になっても、時には崖崩れや路肩崩壊などもあるだろう。旧道は得てしてこうした災害が起きがちだが、発生した際にどれだけ復旧してくれるかと言うことも関わってくるからだ。

この道は、たまたまそうした災害には出会わなかったのかもしれず、今も残っているんだろうけど、こうして残ってくれていたことが非常に嬉しい。この道が残っていることで、思い出の道として記憶の中に残る道になったし、何よりこの道がなければ旧旧道にも行けなかった!(笑)

画面から右側の見切れたところに現道はある。今、私がいるこの道が現道だったころの風景は、ここに立って目を閉じるだけでも雰囲気が蘇ってきそうだ。私の友人もここを通っていたはずで、今みたいにダブルトラックはなかったかもしれないが、おそらく雰囲気としては同じだろう。ポツポツと現道当時の風景に想いを馳せながら歩いていく。
ところで、地主氏とはここで別れた。この道の脇に氏の畑があり、そこで農作業されるために来られていたからだ。旧旧道があれば探索しようと思っていたので、私が山から出てきた後に御礼をちゃんとお伝えしようと思い、私は「行ってきます」とだけお伝えした。

長閑な風景が続く。
友人はこんなところで育ったのか。今の私からすると羨ましい。牛馬が行き交い、時にはヤギもいて、自転車や歩く人が多く行き交った道。この道の先にある隧道は残念ながら結構漏水が激しかったようだが、その隧道も今は改修され、随分立派になった。道の脇には、ところどころに桜の木も見えたりする。この桜の木々は果たしていつからここにいたんだろうか。桜の木にもし聞けるなら、当時の風景を聞いてみたい気がする。

実はこの旧道は、さほど長い距離ではない。丹念に探索しても、およそ15分もあれば終わってしまうだろう。だが、旧道が現道だった頃の名残を探しながら、となると、そんなに簡単にはいかない。一見すると何もない道端の草むらの中に、実は馬頭観音が潜んでいたと言うことはかなりある。「なんでこんなところに馬頭観音が…?」と言う疑問だけでも、そこから一気に謎が解けてくるきっかけに十分になりうるので気が抜けない。

実はここもそうだった。もしこの道が旧街道とするなら、山側と海側が行き交った脇往還だったとするなら、この道のどこかに馬頭観音があってもおかしくはない。それだけに、注意しながら歩を進めていた。

だが、ここまでお目当ての馬頭観音は見つからず。なかなか右から左に「はいそうですか」と見つかるもんじゃないことは重々承知しているので、なかったのかなぁ…と思いながら左の山側を見ると…。何やら斜めに高度を上げていく道らしき平場様のものが見えるじゃないか!。この時はすっかり興奮してしまい、画像を取るのをすっかり忘れてしまっていて、家に帰ってからと思って見てみると…「撮れてないっ!」と言うことになったのだった。

でもまぁ…地主氏の話もあるし、一応私有地ならば無許可で山に立ち入ることはご法度だろう、と言うことで、敢えて「ここから!」と言うことは避けておく。

この画像は、その旧道の様子だ。なかなかわかりにくいと思うが、画像の真ん中に道の路盤らしきものが見える。こうした道は幅と勾配、それに車が通れるか通れないかも重要な要素だ。今は廃道になっていて見る影もないのかもしれないが、それでも道であったことの名残はちゃんと残ると聞いたことがある。今回はそれを示した非常に良い例だと思う。だが、まずはこの旧道の探索を終えてからにしましょうか。

旧道はいよいよ隧道へ。
ここまでの探索で、およそ旧隧道は存在しないだろうと思っている。だが、それ以上に気になるのは旧旧道だ。そのためにもまずは旧道を調査して、旧旧道のつながりをきちんとしてから、旧旧道に向かうことにしよう。探索の方向性は決まった。あとは実行するだけだ。

さぁ行こう。

第4部
「見落とした擁壁」へ