新潟県出雲崎町道
尼瀬稲川線 稲川隧道 再調査編
第2部「ナナマガリ」
2025年4月5日 探索 2025年5月22日 公開
ナナマガリ

旧道の路盤を辿っていくと、このような素敵な擁壁に出会う。右側はその擁壁、先に見える道路は現道の舗装された路盤だ。この繋がり方を見ると、旧道の路盤は一部を現道の路盤に吸収されながら、この先でまた分岐していくんだろうと読んでみた。
それにしても、この擁壁は実に素敵だ。まず、新しくない。おそらくは未舗装だった旧道の路盤を護るために設置されたこの擁壁は、町道から農道に格下げになっても、現道が完成して安全性が増したとしても、なお愚直なまでに路盤を守り続ける道路構造物(この場合は擁壁)は、実にカッコいいではないか。

少し離れて撮影してみる。この擁壁を最初に探索した時になんで不思議に思わなかったか。未熟だったからと言ってしまえばそれまでだが、当時の自分の注意力にほとほと呆れかえる次第だ。この擁壁なんかは実にわかりやすいではないか。現道を通っていれば必ず目に入るはずなのだが。
その擁壁の表面には年季の入った苔がびっしりと生えていて、この擁壁が過ごしてきた長い時間が感じられる。すばらしい。

手前の路盤は砂利道。おそらく、この道が現役であったころからそのまんまの路盤。こんなのは滅多に歩けるもんじゃない。でも…探索時は冬枯れの状態だったが、そのほかの時季だと、もしかして結構ヤブになるのかもしれない(←農道でそんなことあるわけなかろう。通れんようになるじゃんか)。なぁんか…この道、どんな人たちが通っていたんだろうね。

田圃の真ん中に取り残された旧道の路盤。うん、どう見ても不自然な路盤があって、今見てもどことなく他の畦道と違っていて、この道だけ不自然だよねぇ。それに、この角度から見える路盤を支える擁壁も実に素敵じゃないか。いかん、萌える(笑)

ここから先はしばらくの間、旧道は現道に飲み込まれる。その証はおそらくこの画像の右側に見える山側の擁壁。
…と、ここまで来たところで地元の方に声をかけられた。
「何かの調査ですか?」見ると細身の男性の方でサングラスをかけておられ、一輪車を押しながら話しかけて頂いた。私と違って実にスリムな体格の方。その体形には正直「羨ましいなぁ」と一瞬思ったが、今はそんな場合じゃない。私は、この先の稲川隧道を調査していること、そしてそれを進める上で旧道が存在すること、「ナナマガリ」と言われた旧旧道がこの山中に存在することなど、一通り説明して頂いた。するとその男性の方は「ナナマガリ」のことはご存知なかったようで…
「そうなのか。この辺の山の持ち主は俺なんだけど、それは知らなかったなぁ」
なんと!持ち主でいらっしゃると?!。失礼ながら勇気を出して、その男性の方にお願いしてみた。
「スミマセン、その「ナナマガリ」の調査のために、この山に立ち入らせてもらってもいいでしょうか?」
すると、その男性の持ち主の方は、「あぁ、いいよ」と快く快諾して頂いた!。
こうなるとだね、巷ではこれを「千載一遇のチャンス」などと言ったりするが、まさしくその通り。一気に旧旧道の探索まで進める!(持ち主氏が快諾して頂いたのは、私の身なりもあったのかもしれない。何しろ当時の私の格好は、頭にはヘルメット、皮の手袋に、首にはD300、足には登山靴、クマ鈴にホイッスルなど、必要な装備は装着していたので、山を荒らすようには見えなかったのかな)。
このWEBを見て頂いているかはわからないが、
この場を借りて御礼を申し上げたい。
その節はありがとうございました!。

現道と旧道が合流してともに進んでいく道を、持ち主氏と雑談を交わしながら先に進む。先に見える黒い車らしきものは私の車だ。今回もベースとして活躍してくれている。その中で氏は、最近この辺で林業の管理作業が行われていること、これで重機の音などが入っているため、クマやサルなどがいないと言うことを教えてくれた。やっぱりこれは千載一遇のチャンスなことは間違いない。ナナマガリの道が、ご自身が管理されている山にあったと言うこと、またその近くに旧くは城が存在していたこと(これは荒城址のことと思われる)、この城に向かう道は、稲川集落の方々が毎年整備されていることなどを教えてくれた。
やっぱり地元の方々の話は、こうした道を調べる上で欠かせないもので、そのほとんどが正確なので非常にありがたい。前回では全く情報がなかった「ナナマガリ」の道。この稲川隧道の旧道、言わば旧旧道とも言える道に出会えるかもしれない。時計を見る。時間的にはおそらく大丈夫だろう。
いやぁたまんないね、このヒリヒリ感(笑)
ここまで揃えば旧旧道にも行くしかない!
でもまずは旧道!