新潟県出雲崎町道
尼瀬稲川線 稲川隧道 再調査編
第1部「動き出した時間」
2025年4月5日 探索 2025年5月17日 公開
動き出した時間
いよいよ再調査の探索が始まる。今はとてもワクワクしているし、最初に探索した当時の自分がどこを見落としていたのか、とても興味があるところだ。きっと最初のころに探索した廃道や旧道は、今また探索してみるとまた新たな視点で見れるのかもしれない。そんなことを思いながら私は中山集落の旧道の分岐点に立っている。さて、ここから旧道が分岐しているはずだが…と思ってあたりを見回してみると、どうにも不自然な道が一本見つかった。以前の私では見つけられなかった道だ。それがどんな道かというと…

これだ。この地点は前回の探索でも立っていた場所であり、これを見落としていたとは…。そう、この画像は前回の中で登場したものだが、それに矢印を入れてわかりやすくしてみた。よくよく見てみれば、整然と並んでいるであろうはずの田圃で、ここだけ形がいびつで不自然だし、畦道というには立派すぎる。そう、実はこれが稲川隧道に通じる旧道なのだった。さっそく辿ってみることにしよう。

ね?畦道にしては立派でしょ?。道幅も広いし…これに気付かんとは当時の自分の頭をぶんなぐってやりたいが、それは出来っこないのでとりあえず自分の頭を叩いてみる。…ヘルメットを被っていたのを忘れてぶん殴ろうとしたので、右手が痛くなった。いかん、こんなところで一人で漫才をやってる暇はない。痛む右手をさすりながら、旧道を見てみると、中山集落側からやってきた道がこの旧道に接続していたようだ。そのほうが道形的にも自然なように思える。この道に立って中山集落側を見てみよう。

私は今、旧道の路盤から中山集落側を眺めているが、道の本筋としては奥の集落側から手前の道の路盤に、こんな感じで繋がっていたんだろうと思う。山間の集落を抜けてきた道筋は今もほとんど変わっていないはずで、今の私から見ると、これに気付かなかった当時の自分のほうがおかしい、ということになるのだが…。

この画像は、現道の稲川隧道に向かう道から旧道の分岐点である現道の交差点を見たものだ。右側が中山集落側から来た道で、左側の電柱の脇に旧道の路盤がある。旧道は中山集落から稲川隧道に向かう道筋を主にしていたようだ。海側と山側を結ぶ道としては、実に自然な道形だと思う。

さて、では稲川隧道への旧道を辿っていくことにしよう。畦道と見るにはどう考えても不自然だよなぁ…。以前に聞いた知人の話では、隧道の前後の道も未舗装だったそうで、それを考えてもおそらくこの道だろう。
山の脇を通り、路肩が一部補強された路盤(補強されたのはそんなに昔のことじゃないと思うけど)は、旧道の雰囲気十分のよき道だ。自転車でここを辿るにはなかなかに大変そうだが、昔はこんな道が普通だったのだ。そりゃガソリン税の暫定税率も必要になるわねぇ。

山に沿って進んでいく旧道。道幅も十分、1.5車線くらいだろうか。今の車ではそんなくらいの道幅だが、昔の車は車幅も狭かったので、これでギリギリ対面だったかもしれない。ここを走っていたのはスバル360か、それともダイハツミゼットか、マツダT600か(どんな車か知りたい人は、リンクしてあるので見てほしい。なるほど!と思うはずだ)。いつものことだが、目の前にその情景が蘇ってくる。きっと自転車に乗っていた人もいただろうし、もちろん徒歩の人もいたはず。もしかするとヤギや牛を引っ張っている人もいたのかも。そんな光景が見える道というのは、ありそうで実はないものだ。ここは見える。

田圃の真ん中を一気に隧道目指して突っ切っていく現道に対して、山の裾を忠実にトレースしながら隧道に向かっていく旧道。その間に、形がいびつになってしまった田圃がある。道の造り方の時代ごとの対比が見れるようで、ここもなかなか楽しい。こうした旧道が山の中ならともかくとして、こうした平場で残っているというのは嬉しい。それはこの道が国道や県道ではなく「出雲崎町道」ということが非常に大きいと思う。町の山側と海側を結ぶ道が、今も昔も大して変わることなかったということも要因の一つだろう。
この道がこの先の隧道までどんな道筋を辿るのか、非常に興味深い。それ次第では旧隧道が存在するかどうかに関わってくるからだ。旧隧道はないという前回の調査だったが、今はまずこの旧道の道筋を辿っていこう。もしかすると旧旧道にも出会えるかもしれないし、旧道と旧稲川隧道(?)、可能であれば「ナナマガリ」の謎を解き明かせるかもしれない。
でもいいなぁ、この道。
何かを思い起こさせてくれる雰囲気を持つ道。
辿っていても実に楽しい。